夏休み2日目。

山形の天童市。
天童と言えば『将棋の駒』で有名ですね。
それだけではなく浮世絵作家の歌川広重とも縁のある場所なんです。
どちらも『織田家』が深く関わっています。

江戸時代,
上野国(群馬県)小幡から出羽国(山形県)高畠に移封された織田家。
更に高畠から天童へと移ります。
しかし領地20ヶ所が村山に点在していたため支配に支障があったこと,
そして連年の凶作が重なり財政は窮乏していました。
それを救うために家臣と交友関係だった歌川広重の肉筆絵を,
献上額に応じて頒布しました。

DSC_0916
↑天童市内にある広重美術館
それでも財政の窮乏は解消されず,藩士は内職で家計を補いました。
この内職こそが将棋の駒の作成です。
「武士が内職とは何事か!」
という反対もあったようですが,後の勤王の志士,吉田大八は
「将棋は兵法戦術にも通ずる。」
との考えから武士のメンツを傷つけるものではないと,
その作製を奨励したそうです。
天童の駒の大きな特徴として『左馬』というものがあります。
『馬』というのは将棋の『角』が成った状態のことです。
普通は,…普通に『馬』と書かれているのですが,
天童の駒は馬の字を左右反転させた『左馬』になっています。
s-20131024212555110203
↑フリー画像をお借りしました。

これにはいくつかのいわれがあり,

○馬は元来左から乗るもので,右から乗ると躓くといういわれがあり,
 そのことから左馬は長い人生を躓くことなく過ごせるように。
○ウマの反対はマウ(舞う)で,
 古来,舞いはめでたい席で催されるので縁起が良い。
○左馬の下の部分がきんちゃく(財布)の形をしており,
 口がよく締まって入ったお金が散逸しないという富のシンボル。
○普通馬は人に引かれるが,逆に馬が人を引いてくる(招き入れる)と
 客商売にとって千客万来を表す。

などなど。
とにかく縁起が良いってことですね。w

将棋の駒の博物館は天童駅の駅舎内にあり,
街を上げての産業であることがうかがえました。
天童の将棋の駒,なかなか奥が深そうです。

駅に併設されている物産センターで発見!
DSC_0917
↑今気づいたけど「こま八」は「吉田大八」から取ったのかも。

物産センターの建物の1階には,無料の自習室があり,
朝から夜まで開放されていました。
大学生が常駐していて質問にも答えてくれるそうです。
この日も午前中だったにもかかわらず,
何人かの学生さんたちが勉強に励んでいました。

天童市内のおしゃんてぃーなカフェでランチ。
(天童まで行ってなぜカフェ?と言うのは禁句。)
DSC_0918

DSC_0921

DSC_0923

DSC_0922

その後,山形道,月山道,日本海東北道を通り酒田市へ。
途中の櫛引PAはトイレしかないような小さなPAなのですが,
こんなヤツを捕獲!
DSC_0926
こういう心遣いってすごくほっこりして嬉しい。

この日は早めにホテルにチェックイン。
のんびりと過ごしました。