先日,前回のブログでお話しした中3に相談を受けた。
そして同じような内容で高3の受験生に話をした。

勉強する教科を絞る,ということについてだ。

中3の生徒さんからは
「均等に勉強しようとすると全教科(点数が)低い。
 取れそうな教科に絞って勉強するという方法はどうか。」
という相談を受け,また,高3の生徒さんからは
「受験の選択科目で●●は苦手だからそれ以外の科目に絞る。」
というような声が聞かれたし,
「絞って,その教科に充ててた時間,別の教科の勉強をする。」
とも言っていた。

そのどちらともに,私は同じことを話した。
「まだ教科を絞るのは尚早すぎるよ。」
特に高3は,え?なんで?という顔になる。

●●は苦手だから,それ以外に絞って勉強時間を他に回す,
と言えば聞こえは良い。
「そうだね。そうしたほうが良いかもしれないね。」
と,たぶん普通はそうなるだろうと思う。
でも,そこで私が生徒さんたちに聞いたのは,
「では,苦手な●●に十分な勉強時間を割いているか。」
ということ。

当然のことだけれど,勉強しなければ苦手はいつまでも苦手のまま。
苦手なものを出来るようにしようと思い,
そしてそれを行動に移さなければいつまでも出来るようにはならない。
そこまで十分に勉強が行き届いていた,と言えるか。
しっかりと勉強していて,それでも結果が出ないのなら,
その教科を外すというのも一つの手だとは思う。
でも,勉強してもいないで苦手だから外すって言うのは,
誤解を恐れず言ってしまうなら,ただの『逃げ』だ。

「教科を絞る」とはつまり,「捨てる」「諦める」ということ。

「捨てる」「諦める」ということの根底に,
「少しでも楽になりたい(楽をしたい)」という思いがあるのなら,
それは自分への甘えから来る『逃げ』だ。
そして,一度『逃げ』てしまうと『逃げ癖』がついてしまいかねない。
「思うように成績が上がらない。んー…コッチの学校に下げるか。」
「コッチの大学なら英語だけで受験できるの!?…それも良いな。」
てな感じで。

自分の状況を楽にするために,するべき努力もせずに,
安易に教科を絞った人が,最後まで気を抜かずに勉強できるものだろうか。
最後まで粘り強く勉強が出来るだろうか。
気の緩みが起きてしまわないか。
最後まで努力を惜しまなかった人に差をつけられるだろうか。

たとえ苦手でも,苦手なりに勉強をしていれば,
その教科の点数が取れるようになる可能性は0ではない。
でも,ハナから「捨て」てしまえば,その可能性は0だ。
「コッチの方が良かったから,コッチで出願しよう。」
なんて選択肢がなくなるってことだ。
それはあまりにも勿体ない。
しんどくても逃げずに努力した方が最終的には有利になる。


安易な道を選べば,泡沫的な快楽しかない。
いつか必ず泡は破れる。
でも,困難な道を選べば,確実に成長できる。
キミはどっちの道を選ぶ?


『ヘラクレスの選択』が出来るだろうか。