『無知の知』という言葉がある。
哲学の父とも呼ばれるソクラテスが基本とした考え方で,物事を学ぶためには自分が無知であるかを知っていること,つまり自分が如何に分かっていないかを知っていることが大切である,ということだ。
逆に言えば,知らないことよりも「知らないことを知らない」方がヤバいよね,ということである。
知らないことを知らなければ,その人の成長は見込めないからだ。
自分のことを『まだまだ』だと思わなければ,学ぼうとかその状況を改善しようとか,そもそも考えない。
授業の合間の雑談で,どの学年にも1回は聞くことがある。
「自分のこと,頭が悪いと思う人,手ぇ挙げてー。」
8割くらいの生徒が手を挙げる。
良いじゃないか。無知の知だ。
だが,それで止まってしまっている生徒がほとんどだ。
「自分は成績が良くない。頭が悪いからだ。だからもっと勉強しよう。」
とはならない。
それどころか,頭が悪い事を成績が良くないことの言い訳にしている感もある。
例えばテニスで良いボールを打ち返せないとき,「素振りをしてフォームを改善しよう」とか「筋力がないから筋トレしよう」とかなるでしょ。
それと同じなのに。
そこがね。
そこが,成績が上がってくる生徒とそうでない生徒の大きな差なんだと思う。
開智未来中学高等学校の関根均教育顧問(元校長)は
「無知は宝である。」
と先日の進学講演会の折に仰っていた。
それは,無知であることを知り,学ぼうとするから『宝』になるのだ。
無知であることを知りながら学ぼうとしないのは『宝の持ち腐れ』。
無知なまま大人になると,何れそれが『無知の恥(ち)』になってしまうかもしれない。