昨日の中3の授業の時間に,
「思考することを意識して。」
という話をした。
「思考することを意識して。」
という話をした。
例えば数学。
文章題ってこんなふうに考えていくといいよ,
という解き方を例題を使って話をする。
解き方とは言っても,計算の方法とかそういうのではなく,
答案を作るまでにどのような思考過程をたどって行けばいいか,
ということを中心に,いつも説明している。
文章題ってこんなふうに考えていくといいよ,
という解き方を例題を使って話をする。
解き方とは言っても,計算の方法とかそういうのではなく,
答案を作るまでにどのような思考過程をたどって行けばいいか,
ということを中心に,いつも説明している。
ただ,そのときは「なるほどね。」と思っても,
その後,ただぼんやりと問題を解いていると,
思考がいつも整理されずに,ごちゃごちゃとしてしまい,
余計なことをしていたり,無駄なことをしていたり,
逆に必要な部分を考えていなかったりする。
その後,ただぼんやりと問題を解いていると,
思考がいつも整理されずに,ごちゃごちゃとしてしまい,
余計なことをしていたり,無駄なことをしていたり,
逆に必要な部分を考えていなかったりする。
だから,思考過程をたどって行くというのは
とても大切なことだと考えている。
思考過程をたどるということは,
「論理的に思考する」ということだ。
何でその数字が出てきたのか。なんでその式になったのか。
どこの部分で何をどう考えてそうなるか。
そういうことを意識しながら解いてね,ってことだ。
一朝一夕ではできるようにならない。
だからこそ,「まずは模倣して。」と言う。
まずは授業や解答の解説を真似して解けるようになること。
それができるようになったら,
「次は自分で解くときも同じように解いてみて。」と言う。
早い話が,思考過程をたどる訓練。練習。
自由な発想を潰す!とお叱りを受けるかもしれないが,
「自分なりの解き方で」って言うのは,
そこまでが完璧に出来るようになってからで良いと思っている。
自転車に乗る練習をしてたことを考えてみると良いかもしれない。
何度も何度も転んで痛い目に合いながら,
練習して練習して練習したから,今,自転車に乗れるんだろう。
そうやって乗りこなせるようになったから,
片手でおにぎりを頬張りながら自転車に乗れるんだろう。
(↑ダメ!!絶対!!!)
乗りこなせないうちから「両手を離してみよう」とは思わないでしょ。
(↑ダメ!!!絶対!!!!)
思考過程が整理されない状態で自分なりのやり方を入れれば,
余計にごちゃごちゃしてしまう。
似たような問題でも解けるときと解けないときがある,
ってのは,まさにそういう頭の中になってるんだろうと思う。
それは何も数学だけに限ったことじゃなくて,どんな教科でも。
まずはしっかりと「思考することを意識する」。
そうやって繰り返し繰り返し練習すれば,
そのうち,その思考が自分のモノになって,
「無意識にできる」ようになる。
あー。そうか。
K学習塾のN岸先生とお話をしたときの,
「まずは型に嵌ってみる。型を破れるのはその後。」
っていうヤツだ。
型を破ることができるのは,まずは型に嵌ってみたからだ。
自由な発想ができるのは,基本的な思考過程を理解できたからだ。
と,いうことなんだと思う。
K学習塾のN岸先生とお話をしたときの,
「まずは型に嵌ってみる。型を破れるのはその後。」
っていうヤツだ。
型を破ることができるのは,まずは型に嵌ってみたからだ。
自由な発想ができるのは,基本的な思考過程を理解できたからだ。
と,いうことなんだと思う。