夏休みの宿題はいらない。
某ニュース番組のキャスターさんがおっしゃったそうで,
ネットニュースを騒がしていた。
そもそもは自由研究や読書感想文の完成品の販売や,
宿題を代行するサービス――個人的にはそんなもんを
サービスとは呼びたくない――がネット上にあり,
それらを利用する人が増えている,というニュースについての
「賛否あるだろうが」と前置きしたうえでのコメントだそうだ。
コメントはこんな感じ。
「夏休みは文字通り休みなんですから,
強制的に宿題を課すことに私は正直疑問を感じるんですね。
休みだからこそ自分が好きなことを探したり,
関心のあることに集中すべきではないか。」
これに対して,
まさにその時宿題追い込み中の学生さんたち(と思われる)から,
賞賛の声が上がっていたそうだが,
大人たちからは,やはり賛否の声が上がっていた。
私自身はこの件に関しては,否,だ。
圧倒的に否。
そもそも学校の長期休業には,4つの意義があり,
それぞれに目的があるそうだ。
①夏の暑さ,冬の寒さなど気候的な悪条件からの回避
⇒自身で環境を調節できる家庭での健康維持,自主学習
②年度の境目
⇒家庭で入学・進級・進学等の準備を進め,
新年度に備える
③伝統的な慣習の存在
⇒家庭や地域社会で,年中行事を通じて家族や
地域住民と触れ合う
④長期の連続した休業
⇒学校や学校の授業日では体験できない活動を行う
(埼玉県教育局東部教育事務所による。
https://www.pref.saitama.lg.jp/g2204/documents/gakkyuukeiei8-1.pdf)
例えば自主学習。
授業がない分,自主的に学習してね,ということだ。
ここで言う「自主的に」というのは,
勉強するしないは自由,という意味ではない。
自分で計画を立て,それに則って学習してね,ということだ。
そして最低限の自主学習をするための材料として,
宿題というものが課されるのではないかと思う。
例えば普段は体験出来ない活動。
これこそがそのキャスターさんのおっしゃるところの
「自分が好きなこと,関心があること」をするということだろう。
それを少しでも将来へ役立てる,ということを考えるなら,
それを「自由研究」とか「工作」とか「作文」とか,
宿題という形にしてあるんじゃないかと思う。
自分で計画を立てて目標を立てて勉強することだって,
普段じゃなかなかできない体験だと思う。
キャスターさんの言うように「好きなことしていいよ!」
と言ったとして,一日中,約40日間まるっと
ゲームばかりしているとか,遊んでばかりいる生徒さんたちも,
中には居るんじゃないかな,と思う。
件のニュースで,街頭インタビューを受けた親子さんが
「酷いと思うくらい宿題の量が多いし,親も大変だ。」
とお応えになっていたそうだけれど酷い量ってどのくらい?
学校の先生だって人の子,人の親だ。
夏休み中,コツコツやっていれば(それも毎日とは言わない)
終わる量の宿題しか課されていないんじゃないかと思う。
少なくとも,ついさっき,ウチの中学生に聞いた限りでは,
終わらない量ではないし,むしろ適正な量だと感じたし,
しっかりと勉強以外の自分の時間も取れそうだ。
この件に関しては,
夏休みの宿題(若しくはそれに託けた学校の先生)への非難,
ではなく,そんな商売をしようという不届き者と,
それを買い与えてしまう大人への非難,なんじゃないか?
嫌なことは他人にやらせればいいとか,
お金で何でも解決できるとか,そんな考えを植え付けそうで
ちょっと怖い。
さて。
「夏休みの宿題なんていらない!」
なんて本気で言っている生徒さんたち。
夏休み中の自分の行動をよく考えてみたらいい。
ちゃんと計画を立ててコツコツ勉強していたか。
日々,しっかりと勉強時間を確保していたか。
夏休み終盤の地獄の追い込みは,
自分が蒔いた種,なんじゃないか?
この話,頭に来てるのでもう少し続きます。w