自転車に乗り始めたばかりの子供は,
交差点やカーブでもお構いなしにガンガン突っ込む。
でも,少し自転車に慣れてくると,
交差点の手前では一時停止するし,カーブでは減速する。
交差点やカーブでもお構いなしにガンガン突っ込む。
でも,少し自転車に慣れてくると,
交差点の手前では一時停止するし,カーブでは減速する。
交差点やカーブは危険であることを学習するからだ。
事故に遭う不安や恐怖を知ったからこそ,慎重になる。
事故に遭う不安や恐怖を知ったからこそ,慎重になる。
勉強も同じじゃないだろうか。
勉強をほとんどしていない人ほど,
「大丈夫。何とかなる。」
と,ワケの分からない自信を持っていることが多い。
そしてほとんどの場合,何とかならない。
(自信を持つことが悪いとは言ってない。)
勉強を多少している人は,
「今回のテスト,ヤバいかもしれない。」
と,不安になりアワアワする。
多少なりとも勉強をしたことで難しさを知るからだ。
でも,自転車で事故に遭う不安を知ったら慎重になるのに,
勉強で不安なときはヤバいヤバい言ってるだけ。
勉強で不安なときはヤバいヤバい言ってるだけ。
不安を感じたら,慎重になればいい。
慎重に慎重を重ねて,細かいところまで勉強をする。
そうやって不安を減らしていく努力をすればいい。
ただ,勉強には,十分ということもなければ,
絶対に大丈夫なんてこともない。
ましてや完璧なんてのも存在しない。
テスト前などに,
「勉強してんの?」
と聞くと,
「完璧です。」
と簡単に答える生徒がいる。
軽々しく完璧なんて言えちゃうのは,勉強していない証拠だ。
なぜなら,ひとつ不安が解消されても,
また次の不安が生まれてくるからだ。
そういうループに負けず努力を継続することで,
力になっていく。
だから,不安だ不安だとギャーギャー言ってる暇があったら,
「手ぇ動かせ。」
ってことだ。
完璧になることは出来なくても完璧を目指すことはできる。
十分ということはなくても,最善を尽くすことはできる。
力になっていく。
だから,不安だ不安だとギャーギャー言ってる暇があったら,
「手ぇ動かせ。」
ってことだ。
完璧になることは出来なくても完璧を目指すことはできる。
十分ということはなくても,最善を尽くすことはできる。
勉強していれば,不安は尽きないはずだ。
ならば,不安を力に変えよう。